社会福祉制度の歴史を見る
社会福祉政策としての日本の歴史をおおざっぱにおさらいしてみましょう。
昔から社会福祉は国として取り組むべき事業でした。
社会不安や混乱を未然に防ぎ、治安維持を確保するために大変重要な事業であることは、今も変わりません。
昔から社会福祉は国として取り組むべき事業でした。
社会不安や混乱を未然に防ぎ、治安維持を確保するために大変重要な事業であることは、今も変わりません。
飛鳥時代~室町時代
悲田院
大阪の四天王寺に聖徳太子が建てたのが最初、といわれています。
9月15日に建てられたので、この日が敬老の日となったという俗説があります。
貧しい人たちや孤児達を救うための施設として建てられました。
記録上は、光明皇后が皇太子妃時代の723年に建てられたのが最初らしいです。
悲田院とともに光明皇后が建てた施設で、 病人や孤児たちの保護・治療・施薬を行うための施設です。
倉を中心にして、大和朝廷の直轄領があり、大和朝廷の経済基盤となりました。
大阪の四天王寺に聖徳太子が建てたのが最初、といわれています。
9月15日に建てられたので、この日が敬老の日となったという俗説があります。
貧しい人たちや孤児達を救うための施設として建てられました。
記録上は、光明皇后が皇太子妃時代の723年に建てられたのが最初らしいです。
敬田院
聖徳太子が同じく四天王寺に建てたと言われています。
仏教や人間教育を行う場として建てられた日本最古のアカデミーです。
悲田院とともに光明皇后が建てた施設で、 病人や孤児たちの保護・治療・施薬を行うための施設です。
療病院
悲田院・敬田院・施薬院と、この療病院を合わせて四ヶ院といいます。
療病院は今で言う入院施設のこと。
倉を中心にして、大和朝廷の直轄領があり、大和朝廷の経済基盤となりました。
惣村―農民同士が結束して救済を互いに行う
近畿地方から始った村落の形態。
水路や道路などの修理や、戦乱・盗賊からの自衛の為に、地縁的結合が強まっていきました。
戦国時代
戦国大名による救済事業―釜無川の信玄堤
甲斐の戦国大名、武田信玄が築いた釜無川と御勅使川の合流地点の堤防。
これによって、甲斐の国力が増強されました。
甲斐の戦国大名、武田信玄が築いた釜無川と御勅使川の合流地点の堤防。
これによって、甲斐の国力が増強されました。
キリスト教による慈善活動―ミゼルコルディア(慈悲)の組
長崎に始めてキリスト教をもたらした、修道士ルイス・デ・アルメイダが病院を建て、
その運営を行ったのが、ミゼルコルディア(慈悲)の組と呼ばれる信徒組織です。
江戸時代
幕府による政策―小石川養生所、石川島人足寄場
小石川養生所は、8代将軍徳川吉宗が建て、極貧の病人を無料で診療した施設。
小石川養生所は、8代将軍徳川吉宗が建て、極貧の病人を無料で診療した施設。
農村の扶助体制―「ゆい」「もやい」などや「講」の組織化
同じ信仰を持つ人たちの結社から講が始り、後に相互扶助団体として転換していきました。
明治時代
恤救(じゅっきゅう)規則の成立
住民同士の交流による救済を基本として、最低限の救済処置をこの恤救規則で行いました。 政策の基本は地域の相互扶助であったのです。
住民同士の交流による救済を基本として、最低限の救済処置をこの恤救規則で行いました。 政策の基本は地域の相互扶助であったのです。
昭和時代
救護法の成立―公的扶助の体系が成立
貧困者への公的扶助の義務が国にあることを明示しましたが、内容は恤救規則と変わりませんでした。
貧困者への公的扶助の義務が国にあることを明示しましたが、内容は恤救規則と変わりませんでした。
戦後~現代
社会福祉協議会が設立(S.26)
福祉六法の成立
- 生活保護法の制定(S.25)
- 児童福祉法の制定(S.22)
- 身体障害者福祉法の制定(S.24)
- 知的障害者福祉法の制定(S.35)
- 老人福祉法の制定(S.38)
- 母子及び寡婦福祉法の制定(S.39)
- 国民健康保険法(S.33)
- 国民年金法(S.34)
ドメスティック・バイオレンス(DV)防止法
平成13年に制定されたドメスティック・バイオレンス(DV)防止法は、
現代社会を反映した法律といえます。
この法律の目的は、配偶者からの暴力による被害者の救済がこれまで充分に行われてこなかった現実をふまえ、
配偶者からの暴力の防止と被害者保護のため、暴力に関わる通報・相談・保護・自立支援の体制を整備することを
目的として制定されました。
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